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岡部家と岡部栄信翁

登録日:2021年1月12日

岡部家と岡部栄信翁

岡部家

 祖父岡部為作と栄信翁の家族の画像農地解放前の現富岡市立岡部温故館前の様子の画像

大正4年祖父岡部為作(66歳)と栄信翁(30歳)/農地解放前の現富岡市立岡部温故館前の様子

江戸時代後期から明治初期にかけ、北甘楽の麻や南牧村砥沢の砥石を倉賀野河岸から船で江戸に送り、江戸のほか三河、尾張、伊勢などにまで販売網を広げた西上州の在郷商人。

為作(栄信の祖父)の代には、金融・製糸会社を経営し、金融活動により土地集積を進め、明治時代末には100町歩を超える地主に成長した。群馬県内でも屈指の地主で、小作人が約500人近くいたが、第2次世界大戦後の農地解放により130町歩を超える田畑を失った。

為作、栄信ともに旧北甘楽郡丹生村(現富岡市)村長を務め、地域の発展に尽力した。現当主は、保信氏(栄信の孫)。平成元年に先代定信氏(栄信の嫡男)が、岡部温故館を多額の金品とともに富岡市に寄付している。

注:1町歩は約9917,4平方メートル。約1ヘクタール。

岡部栄信翁(社会教育家)

 岡部栄信翁の画像栄信翁の家族の画像

岡部栄信翁(1886年から1965年まで)/昭和3年 栄信翁の家族 妻きん(左端) 祖母なつ(中央)、1男7女

旧北甘楽郡丹生村(現富岡市)上丹生の旧家に、明治19年(1886)5月31日に生まれる。父を6歳、母を9歳で亡くし、祖父(為作)、祖母(なつ)に育てられる。旧制富岡中学校(現富岡高校)卒業後に早稲田大学法学科予科に学んだが、祖父の希望で途中退学し帰郷した。明治39年(1906)6月には旧北甘楽郡西牧村(現下仁田村)本宿の神戸きんと結婚し、1男7女をもうけている。

大正7年(1918)には丹生電気株式会社の取締役社長に就任し、農村開発を行っている。大正8年(1919)に群馬県農工銀行監査役に就任、大正9年(1920)には上野鉄道(株)(現上信電鉄(株))取締役、組合製糸甘楽社副社長、大正14年(1925)には甘楽銀行取締役に就任した。

昭和に入り長く丹生村村長を務め、昭和27年(1952)には群馬県公安委員に就任している。栄信翁は、私財を道路改修工事に投じたりするなど、地域に多大な貢献をした。昭和40年(1965)8月12日80歳で逝去。

 丹生地区県道改修費1万円を寄付したことによる紺綬褒章の画像大塩湖のいしぶみの丘に設置された石碑得意淡然、失意泰然の画像

丹生地区県道改修費1万円を寄付したことによる紺綬褒章/大塩湖いしぶみの丘に設置された石碑

栄信翁は、石門心学ばかりでなく、儒教や報徳思想を拠り所として、精力的に教化活動を行った。富岡市内の大塩湖にある「いしぶみの丘」には、「得意淡然、失意泰然」という直筆の座右の銘が残っている。

 

主な参考文献

  • まそほ会「至善の人 岡部栄信」
  • 岡部保信「岡部栄信の思想と行動」

このページのお問い合わせ先

市民生活部 文化課 美術博物館係
電話番号:0274-62-6200
FAX番号:0274-62-6201

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