妙義神社(建造物4棟、銅鳥居1基)が国の重要文化財に追加指定されました
登録日:2024年10月18日
概要
令和6年10月18日、国の文化審議会から「妙義神社 4棟、1基」が国の重要文化財へ追加指定の答申がされました。
名称・員数
妙義神社 4棟、1基
- 随神門 1棟
- 回廊 1棟
- 銅鳥居 1基
- 御殿 1棟、附 棟札 2枚
- 社務所 1棟
- 附 波己曾社本殿及び拝殿 1棟
- 附 棟札 2枚
所有者
宗教法人 妙義神社
所在地
富岡市妙義町妙義6番地
説明
妙義神社
妙義神社は、白雲山(妙義山の主峰)の東麓に境内を構える神社で、古くは「波己曾社」と称していました。江戸時代には神仏習合・山岳信仰の神社として広く崇敬を集めました。明治の神仏分離以前には、別当寺として石塔寺が置かれ、上野の寛永寺の末寺として栄えました。
(全景写真は妙義神社提供)
随神門
随神門は、切妻造、銅板葺、三間一戸の八脚門です。組物は平三斗組拳鼻付として中備は板蟇股を置き、軒は二軒繁垂木、妻飾は二重虹梁大瓶束、内部は三棟造です。明暦2年(1656)の建立とみられます。赤色、黒色で塗装され、全体として装飾は簡素です。彫刻、彩色による装飾化が進む以前の、古い段階の神社建築の特徴を示します。昭和34年(1959)8月に群馬県の重要文化財に指定されました。廻廊とともに、妙義神社に現存する建物の中では最古級です。
回廊
廻廊は、桁行三間、梁間一間、切妻造、銅板葺の単廊で、随神門の北隣に位置します。明暦2年(1656)の建立とみられます。赤色、黒色で塗装され、全体として装飾は簡素です。彫刻・彩色による装飾化が進む以前の、古い段階の神社建築の特徴を示します。昭和34年(1959)8月に群馬県の重要文化財に指定されました。随神門とともに、妙義神社に現存する建物の中では最古級です。
廻廊(左)・随神門(右)
銅鳥居
銅鳥居は、享保4年(1719)建立の明神鳥居で、柱元に獅子の飾りが付いています。額束には紀年銘が、南側柱足元には鋳物師銘が、貫上面には寄進者銘が残ります。昭和34年(1959)8月に群馬県の重要文化財に指定されました。
御殿
御殿は、入母屋造、銅板葺で、北西隅に渡廊下、南西隅に便所と旧湯殿が附属します。輪王寺宮(石塔寺の本山である寛永寺の座主)の宿所であり、前身建物が安政2年(1855)の火災で焼失した後に再建され、翌年に上棟が行われました。簡明な意匠に上質なつくりで、宮様の御座所である「上段の間」を内部に設けた、格式高い建物です。平成元年(1989)3月に妙義町(現・富岡市)の重要文化財に指定されました。
社務所
社務所は、南棟・東棟・北棟の三棟を「コ」字形に配置しており、石塔寺の庫裏として建てられました。前身建物が安政2年(1855)の火災で焼失した後に再建され、全体としては安政5年(1858)頃に完成したと考えられます。南棟には唐破風造の玄関が附属し、往時の隆盛をうかがわせます。平成元年(1989)3月に妙義町(現・富岡市)の重要文化財に指定されました。
附
御殿の建築年代等を記した棟札2枚については、年代や建築の経緯を示す貴重な資料であることから、附指定として保存が図られます。波己曾社本殿及び拝殿は、明暦2年(1656)に現在の本殿・幣殿・拝殿の前身社殿として建立されたもので、宝暦6年(1756)の現社殿建立時に分離移築され、本殿を波己曾社、拝殿を神楽殿として再利用していたものです。昭和44年(1969)に現在地へと移築され、幣殿部分が復原されました。大規模な改修、移築を受けていますが、前身本社社殿として重要であることから、天保年間に波己曾社を修理した際の棟札2枚とともに、附指定として保存が図られます。波己曾社本殿及び拝殿については、昭和43年(1968)5月に群馬県の重要文化財に指定されました。
附・波己曾社本殿及び拝殿
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